プロフィール

ころた

Author:ころた
芦ノ湖と相模湖にしかバスがいない頃にルアーを始めた。師匠は常見忠、開高健(心の師匠ね)。吉田幸二よりは若い、ちょっとだけ。
30数年間の技術者としてのサラリーマン生活を終え、いまや悠々自適(と言うほど余裕はない)。技術者の悪い癖で理屈ばかりにやたらうるさい。当然、釣りも理屈詰めとなる。よって頼りにしたのは科学文献。文献検索を重ね魚類や湖、その植生などを紐解くと、出るは出るは面白情報の山。その一部をおすそ分けします。

HP復活から

琵琶湖のバス釣り有料化?

西の方が喧しい。
11月15日付け毎日新聞によると、「滋賀県知事が琵琶湖の外来魚釣りの有料化」の検討を開始するという。[宮本和宏守山市長が「釣り客はゴミも出すなど琵琶湖に負荷をかけており料金を取るべきだ」と提案し、三日月滋賀県知事が答えた。 ]と記されている。
行政は相変わらずステレオタイプの物の見方しかしないなぁ、と感心してしまうが、きちんと考えてみよう。

まず釣りの有料化については私自身は全面的に反対とは言わない。しかるべき金額にして、しかるべき金の使い方をするのであれば、有料化もアリだろう。そもそも我々釣り人は、湖や海に出かけてタダで魚を釣り、幾ばくかの負担をその地に掛けて帰っていく。良識のあるアタリマエの釣り人なら、ゴミを持ち帰る・釣り場を汚さない・何でも根こそぎ釣らない・違法駐車はしない・騒音は出さない、と言った配慮はしている。それでも根掛りした仕掛けや糸は水の中に残すし、交通渋滞を引き起こし排気ガスで空気を汚す。色々な負担を地元に掛けているんだという事を自覚するべきだ。
ましてここに愚か者が混じる。確かに多くはないだろう、と信じたい。が10人に1人、いや100人に1人の愚か者がいれば、それだけで湖や海を汚し、漁港を荒し、地元に迷惑を掛ける。私自身も釣り場で何人もの愚か者を目撃し、何度かは「ゴミは持ち帰れ」と注意して喧嘩になりかけたことがある。バカはどこまでもバカなのだ。そのようなバカは比較的簡単に見つかる。守山市長も見かけたことがあるのだろう。100人に1人のバカは釣り人の代表になってしまうのだ。

対して我々はどれだけの金を地元に落しているのか?大したことはない。せいぜいが食事代くらい。たまにはボートをレンタルするにせよ、釣りで潤っているのは釣り具メーカーなのだ。ならば地元に還元する手段としての入漁料なら払ってもいいのではないか。
別にバス保護のために使え、なんて言わない。環境保全のために広く使って貰えばいい。今さら河口湖みたいにバスの放流なんてのも不要だ。琵琶湖に住む外来魚が在来種に影響を与えていることは事実なのだから。(もちろんそれが在来種激減の原因の全てではないことは、「文献から読み解くバス」のあちこちで証明されている。)

県としての議論はこれからだろうが、入漁料の設定はそう難しいことではないだろう。一方、釣り具メーカーは大騒ぎするし、釣り団体も黙っちゃいるまい。しかし琵琶湖全体、釣りを巡る状況全体をよ~く考えて対応すべきだ。釣りは全面禁止、ブラックバスは税金をかけてでも底引き漁で一網打尽、なんてシナリオが最も愚かで最も非効率的だぞ。釣り人の欲求、地元の利益、メーカーのそろばん、在来種保護の立場、バランスをよくよく考えようよ。

逆に前出のバカ対策をどうにかしないか。シンガポールみたいに「湖をよごしたら即、〇〇万円!」でいい。厳罰に処さないと、こういうバカに再教育なんて無駄なんだから。

26.琵琶湖北湖における外来魚ブルーギルの繁殖生態

(中尾ら(滋賀県立大学);魚類学雑誌,53(1):55-62)

ブラックバスのネストを見たことのある人も多いと思う。私自身は大阪の野池で何回も目撃した。それは50cmほどの浅瀬に直径50~60cmほどの円を描いて、1,2mおきに点在していた。小さな野池だったのでそれ程多くはない数であったが、時にはバスが1匹、ある時は2匹が張り付いていた。
そんな個人的な思い出レベルの話ではこのHPに相応しくないので、文献調査を行った結果の一つが「14.移植されたコクチバスの繁殖特性」であった。
http://longislandclub.blog.fc2.com/blog-entry-26.html
ではブルーギルはどのような繁殖生態を示すのか? 本論文で詳しく述べられている。
例によって文献は抜き出して紹介しており、それらは黒字で、私のコメントは青字で示した。


ブルーギル lepomis macrochirusはサンフィッシュ科に属するアメリカ大陸中東部原産の淡水魚で日本に持ち込まれたのは1960年である。1990年代半ば、特に琵琶湖南湖で爆発的に増加した。
原産地である北米では本種の繁殖に関する研究例は比較的多い。それらによると,本種は繁 殖に際して産卵床を作り,卵と仔魚の保護を行う。さらに,産卵床は集合してコロニーを形 成する(Swingle and Smith,1943;Gross,1982)。コロニーを構成する産卵床の数は,時には400-500に達する(Swingle and Smith,1943)。ブルーギルの卵・仔魚は,他のサンフィシュ科魚類やイクタルルス科のナマズBrownbullhead Ameiurus nebulosusなどにより捕食される場合
がある(Gross and MacMillan,1981)。一方,琵琶湖では,ブルーギルのコロニーは,大きくても数 十産卵床程度から成るとの報告がある(服 部,1997)。また,日本には本種の卵・仔魚を捕食するようなサンフィッシュ科魚類は同種以外には存在しないため,本種の繁殖を取り巻く種 内および種間関係は原産地と大きく異なると予想される。
そこで本研究では潜水による直接観察により,これまでに十分に明らかにされていない琵琶湖のブルーギルの繁殖時期やコロニー形成,あるいはコロニーあたりの産卵床数,産卵場所 などの基礎的な知見を蓄積するとともに,季節や水温変化に伴う産卵床保護期間の変化や コロニーサイズと繁殖成功との関係を明らかにすることを目的とした。

琵琶湖・北湖の北端部に位置する通称"奥出湾"(滋賀県伊香郡西浅井町菅浦地先)の南西端の 小湾(136゜7'31"E,35028'35"N)で調査を行った(Fig.1)。調査地の湖岸および湖底の底質は,主 に礫や砂礫で構成されていた。湖岸から沖合いに向かって2-3mの範囲は水深1m以浅の,比較的ゆるやかな傾斜(斜度20°程度)の礫底が岸に沿って帯状に広がっていた。その沖側に は急勾配(斜度45゜程度)の礫斜面が続き,水深4-6m付近で再び緩やかな勾配(斜度20゜程 度)となり徐々に泥底へと移行していた。また,"谷"状の地形の箇所には,落葉枝による厚い 堆積層が形成されていた。湖岸沿いには数カ所,水位上昇時に冠水する陸生植物や,小規模 な抽水植物群落が生育していた。水深約6m以浅のほぼ全域に,センニンモPotamogeton maackianus,フサモMyriophyllum verticillatum,エビモPotamogeton crispus,コカナダモ
Elodea nuttalliiなどから成る沈水植物群落が発達していた。

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調査は2002年および2003年の5月下旬から9月上旬にかけて実施した。
本研究では,保護雄が卵・仔魚を保護しているのが観察された場所を産卵床と定義し,産卵 床が集合した状態をコロニーとした。データ解析に際しては,単独で存在した産卵床も便宜上コロニーとして扱った。コロニーが形成された場所を産卵場所(A,B,Cなど)とした。スノーケリングまたはスクーバ潜水により差し渡し約100mの小湾内を岸伝いに巡回し,産卵状況の観察を行った。

ブルーギルの仔魚は卵黄吸収を終え自由遊泳期に達すると産卵床を離れ,保護雄も産卵床を去る(Gross and MacMillan,1981など)。そこで本研究では,仔魚が卵黄吸収を終え遊泳可能な状態に達して産卵床内から泳出し,保護雄も確認できなくなった場合,繁殖成功と判断した。それ以前の発育段階で卵・仔魚が確認できなくなった場合は繁殖失敗と判断した。

調査結果はTable.1にまとめられている。すなわち産卵のピークは6月10および20日、ネスト数380および192、1コロニー当りのネスト数は6.9および6.2、雄による保護期間は平均8.3日となっている。


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Fig.2には日毎のネスト数と水温の変化を図示している。ネスト数はスポーニング初期の6月上旬が最も多く、8月まで漸減していく。筆者は2003年の7月上旬に一時的にネスト数が減少しているのは、同時期にまとまった降雨があったため湖底に湧き水が増え、水温が局地的に低下したためと見ている。Fig.2に示した水温は湖底ではないため、そのような変化が捉えられていないものと考えている。


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Fig.4に、日毎のコロニーサイズを示す。
2002年のコロニーサイズ(コロニーを構成する産卵床の数)は1-48(n=55)産卵床であり,平均(±標準偏差)は6.9±8.7産卵床であった(Table1)。2003年は1-31(n=31)産卵床で,平均6.2±7.9産卵床であった。両年とも30産卵床を越える大きなコロニーは,繁殖期初期である6月から7月初めにかけて形成された。

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ブルーギルが保護を行うのは仔魚が浮上するまでで(中村ほか, 1969;Morgan,1951;Gross and MacMillan,1981;Gross,1982),その期間は4-9日(中村ほか,1971),あるいは7日(Gross and Mac Millan, 1981)などとされている。本研究で確認された,繁殖に成功した産卵床における保護期間は5-10日間で,従来の知見より保護期間に幅がみられた。また,水温上昇に伴 う保護期間の短縮が示された。中村ほか(1971)によると,孵化後,仔魚が浮上するまでの時間は18.50Cで138時間,24.5℃で90時間, 28.5℃で64時間と,水温の上昇とともに短縮される。本研究でも,繁殖期初期には後期仔魚期まで成長するのに10日程度かかっていたが,繁殖期後期では4-5日にまで短縮される様子が観察された。
以上のことから,今回観察された保護期間の短縮は,水温上昇にともなって卵・仔魚の成長 が早まり,浮上までの期間が短くなったためと推察される。
繁殖期初期は保護期間が長いため,後期と比較してより多くの繁殖努力が必要となる。にもかかわらず,産卵の最盛期は初期であった。Shoup and Wahl(2003)によると,初期に産まれ,最初 の冬までにより大きく成長したブルーギルの0歳魚は,後期に産まれてより小さな個体よりも冬期の生存率が高い。つまりブルーギルにとって早期に産卵することは,子の生存率を通 じて個体の適応度を高める上で有利にはたらくと考えられる。このため,繁殖期初期に産卵 の最盛期を迎えるのかもしれない。

多くのコロニーで,1-2日間に集中して産卵が行われる傾向が確認された。このような同時性(synchrony)については,原産地である北米のブルーギルにおいても観察され,その意義が考 察されている。北米ではブルーギルや同属のPumpkinseed Lepomisgibbosus,あるいは両種の 交雑個体,ナマズ目のBrown bullheadやYellowbull
head Ameiurus natalisなどがブルーギルの卵・仔魚を捕食し,特に2種のナマズ類はしばしば 産卵床内の卵・仔魚を全て食べてしまうことが報告されている(Gross and MacMillan,1981)。これに対しブルーギルのコロニー内での産卵の同時性は捕食者に対する防御効果,あるい は捕食の際の希釈効果を増大させ,またコロニー間での同時性は繁殖に参加する個体が増 加することで,捕食者となりうる同種個体の数を減少させる効果がある(Gross and MacMillan,1981)。
琶湖北湖ではヨシノボリ類Rhinogobius spp.がブルーギルの卵を捕食しているとの報告が あり(服部,1997),本調査地でもヨシノボリ類,ヌマチチブTridentiger brevispinis,ビワヒガイsarcocheilichthys variegates micmoculus,オイカワZaccop latypus,そしてブルーギルによる捕 食がみられたが,中でもブルーギルによる捕食が最も多く観察された(中尾,未発表データ)。捕食者の種構成は原産地と大きく異なるものの,琵琶湖のブルーギルの保護雄も北米のブルーギルやハリヨの場合と同様,同時的な産卵によって捕食者に対抗したり,安定した個体 間関係を構築することで,繁殖成功率を高めていると考えられる。

従来,日本の水域にブルーギルが定着できた一要因として,繁殖に際し卵・仔魚の保護を行 う点が指摘されてきた(寺 島,1977;横 川,1992)。本研究の結果から,さらに,本種がコロニー を形成するという繁殖生態をもつことにより,在来種あるいは同種からの卵・仔魚の捕食が軽減され,その結果,繁殖成功率がより高められていることが示唆された。このような繁殖様式が,琵琶湖をはじめとする日本各地の水域で本種が爆発的に増加した一要因と考えられる。

25.北浦の水層構造の数値解析

(北澤(東京大学),小松(茨城県霞ケ浦環境科学センター);生産研究速報60巻1号,2008)

 秋が深まって来た。我々、湖を主戦場とするバサーにとっては、盛夏の高水温から回復したバス達が盛んにベイトを追ういい季節になって来た。しかし並行して、いやな季節も近づいてくる。それはFall Turn Over。表層部の水温低下と共に湖の上下水層が入れ替わるアレである。日本最大の湖:琵琶湖のFall Turn Overについては、「3.琵琶湖における水温、水流の年間変化」で詳しく紹介した。
では我がメインレイク、北浦ではどうなのか? ちゃんと解析してくれています。

 北澤らは、琵琶湖で行われた解析と同様の方法により、北浦の流動場、密度場を3次元解析した。いつものように私のコメントは青字、著者の論文は黒字で示す。

 図2に北浦の格子分割方法を示す。水平方向に500m、鉛直方向に50cmの格子で分割し、最大水深は8mとしたため、最大で16層に分割した。各格子において、流速と圧力、密度の変数をスタッガードに配置し、2.1の基礎方程式を有限差分法により解いた。
 タイムステップは30秒とした。計算期間は2006年3月1日~9月30日とし、風摩擦、熱フラックスの条件を計算するための気象データとして水戸、館野の気象観測データおよび釜谷沖の風向、風速データを用いた。また計算結果と比較をを行うための観測結果として、江川沖の水温データと阿玉沖の流速データを用いた。

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 図3に2006年6月20日~9月30日の江川沖(水深約7m)の水温観測値と計算値との比較を示す。
6月から7月にかけては、観測結果、計算結果ともに比較的長期間にわたって表層と底層とで水温差が生じていた。特に6月20日から7月5日までは、安定な成層が形成され、表層と低層とで最大約4℃の差が見られた。図4に、2006年6月20日~9月30日のバルク法により推定された湖面での熱フラックス流入量と風速の変動を示す。6月20日から7月5日にかけて、湖面への熱フラックス流入量は多く、7月5日に熱フラックスが流出(冷却)に転じたことで、コメンが冷却され、成層が一時的に消滅した。しかしながら、その後は再び湖面への熱フラックス流入量は多い時期が続き、7月18日頃まで比較的長期間の成層が形成された。
 一方、8月になると成層構造が長期間維持されることはまれになり、日成層、または数日間の成層が形成されるにとどまっていた。これは、低層の水温が成層期初期より少しずつ上昇し、6~7月は表層と底層の水温がほぼ同じ温度になるためである。
 9月になると、日成層もほとんど観測されなくなり、水温は鉛直方向にほぼ均一となる。特に、9月13日頃に、強い風と湖面冷却の進行により、湖水の鉛直混合が強まると共に、数日間で水温が5℃程度も低下した。これらの水温変化の特徴は数値シミュレーションによって概ね再現された。

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 ちょっと意外じゃない? いわゆるサーモクラインは夏の初めまでで、8月にはむしろ解消しているんだ。真夏は底層の水温の低い層にバスはいるって思いこんでいませんでした? 少なくとも北浦の底層は、水温は高いは酸素は薄いは、いい事ないみたいだよ。

 図5に、2006年8月28日~9月6日までの阿玉沖(水深約4.5m)表層と底層の南北方向流速変動を示す。計算結果においては、表層では風の向きとほぼ同じ方向に流れが生じ、底層では表層と逆向きの流れが形成された。流速は最大で0.2m/s程度であった。一方、観測結果は、10分ごとのでーたであるため高周波の変動があるが、計算結果と同様に表層と底層とで逆向きに流れが生じる様子が見られた。
 流速計測が行われた阿玉沖は、その北側から巴川と鉾田川が流れ込み、かつ湖底が勾配を持つ水域であるため、流れが河川からの密度流の影響を受けた可能性がある。

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 図6に2006年6月30日、9月6日の阿玉沖を通る長手方向鉛直断面の流速、水温分布を示す(右側が概ね北の方向)。6月30日は比較的長期的な成層が形成されている時期であった。この時は南寄りの風により表層では北向きの流れが生じ、また比較的温度が高い水が風下側に拭き寄せられるため、北側では水温が高くなった。さらに中層と底層では表層と逆向きの流れが生じており、湖内の水収支と保っていた。一方9月6日は、成層が消滅し、湖内全域の水温がほぼ30℃となっていた。北寄りの風が吹いたことによって、表層水が南向きに流れ、中層水と底層水は北向きに流れていた。いずれの場合においても、鉛直断面においては鉛直循環流が見られ、水平流速は0.1m/s程度、鉛直流速は0.1mm/s程度となっっていた。
 成層が存在している場合は、成層面での鉛直方向の運動量輸送が抑制されるため、表層と底層とで逆向きの流れが生じやすく、鉛直循環流が湖全体で発達しやすい傾向にあった。このように成層面の有無は鉛直循環の形態に影響を及ぼし、日成層が形成される浅水湖においてはその重要性が増すものと考えられる。

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 成層構造の変化は、北浦における貧酸素水塊の形成や消失に関与すると思われ、実際に北浦の複数の地点で6~7月に底層水が貧酸素化し、8月に回復する様子が観測されている。このような水質変化を再現し、流動場モデルと低次生態系モデルを結合した数値モデルにより、富栄養化や底層水の貧酸素化のメカニズムを解析する必要がある。


 この表層と底層の水平流の違いは憶えておいて損はない。底層において常時0.2~0.4m/sの流れが存在しているって事は、バスやベイトの動き、水草や水底の沈殿物・土砂の状態に間違いなく影響する。「ロッキンチェアー アングラーの1日 Vol.2」で検討した通りだ。
 そしてこれから湖はFall Turn Overの時期を迎える。バスもベイトもちょっと元気をなくす季節だが、だからこそ狙い処は絞り込める。頭を使おう、頭を!

あっちのドックは釣れるが、こっちのドックは釣れない、のは何故か?

 ホームグラウンドである北浦・常陸利根川水系には多数のドックが存在して、バスのポイントになっている。しかし、いつ行ってもほぼバスを掛けることのできるドックと、何回行っても釣れないドックがある。その差は何なのか? 考察してみよう。( と言うか、単独釣行の時には「釣れない、バスがいない」と思われるドックにはハナから行かないが)

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 例えば常陸利根川下流域の某ドック。ドック自体には何の変哲もないドックだが、バスのストックは多く、ほぼボウズを食らわない。それはなぜ?
ポイントは潮の干満であろう。川で潮流?と思うだろう。まして常陸利根川は常陸川水門により潮を堰き止めていて、利根川本流と同様に今は完全淡水化されている。しかし逆に潮の干満に合わせて水門の操作を行っているため、川の水位は潮の水位と共に上下する。満潮時には海からの逆流を防ぐため水門を閉鎖し、干潮時には開放する。よって常陸利根川の水位は潮とほぼ同期して上下するのだ。
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 すると何が起こるか。ドックは呼吸をするのだ。常陸利根川の水位変化に合わせて、高水位時はドックには川からの深浅な水が流入し、低水位時には流出する。澱んでいるのが常のドックに新鮮な水が供給される。それだけではない。狭い水門を通る水流にドックの底に溜まっているヘドロ・ゴミが流される。ドックの澪筋にはバスの好きなきれいなボトムが出現することになる。よって後輩達がしきりに岸際やボート裏を狙っている中で、俺はもっぱら澪筋狙い。それが功を奏する時も、後輩にしてやられる時も・・・
 まあ、釣りは己が納得できるかどうかだから。偶然バスが釣れたっておもしろくないでしょ。自分の組み立てたタクティクスの証拠がバスなんだから。

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 しかしそれならば、常陸利根川下流部のドックはどれも同じだ。でもココは釣れてアソコは釣れない。じゃあココには何がある? 実はココは常陸利根川南岸で常陸水門から最初のドックなのだ。バスは基本的に岸沿いにマイグレーションしてくる。その彼らが最初にたどり着くのがこのドックになる。
 一方で川の北岸にはより多数のドックが存在する。もっと水門に近いドックもたくさんあるが、それらに実績があるかと言うと、そうでもない。言わば密度が低いのだ。バスが多数のドックに分散しているのだ。

 水門操作による水位変化は最大で50cm程度。ドックにとっては大きいよ。バスもベイトも水流に誘われて移動するので、水位上昇に伴い水がドックに流入している時はドック内を、流出している時はドック外を狙う。タイミングは潮位表と水門操作スケジュールを照らしあわせれば計画できる。スケジュールは。「霞ヶ浦河川事務所」を参照されたし。(以前の「釣れ釣れなるままに」でも書いたね。)
 雨が多くて常陸利根川の水位が高い時には、潮位とは関係なく水門操作をする時もある。下の写真撮影時には干潮時、海側の水位は常陸利根川の水位より1mも低くなっていた。水門操作は行われず、ドックの水位はほぼ変化なしだった。

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 などと考えながらポイント選定していくと、ここはダメそうでアッチはヨサゲなんて考えるようになる。それがはまった時のうれしさはまた格別。外れたら? また考えればいいさ。
 


24.茨城県北浦の沿岸帯におけるチャネルキャットフィッシュの摂餌特性

( 遠藤(茨城大学)ら,水産増殖(Aquacult. Sci.)63(1),49-58(2015))

 今やバス以上の嫌われ者になったチャネルキャットフィッシュは、1970年代に持ち込まれ、江戸川で確認された1982年以降は徐々に利根川水系へと拡大していった。バス同様に日本在来種の生態系を乱し水産業に打撃を与えているばかりか、胸鰭・背鰭のとげで人が負傷したり、網等が破損したりする被害も出ている。
 その嫌われ者は湖で何を食べているのか、茨城大と東京大による共同調査が行われた。


 本研究では 沿岸部に生息するチャネルキャットフィッシュの摂餌特性を調査することを目的とする。調査地点は北浦東岸の爪木と大船津を選んだ。両地点ともヨシ帯とコンクリート垂直護岸帯で構成されており、それらの岸際から沖に向けて50mの範囲は水深1.2m以浅の砂泥底で構造物のない「解放水面」となっている。

Fig.1 サンプリング位置


 調査は2013年4月から10月に、19:30から21:00にスルメイカを餌として釣獲調査を実施し、追加として投げ網漁を実施した。その結果、釣りで268個体、投げ網で31個体の合計268個体(14.7~59.1cm)を採集した。本研究では夏季(7~9月)に全標本の9割が捕獲された。体長35cm以上の大型個体は釣りだけで採集された。
 各地点の各生息場所で釣獲されたチャネルキャットフィッシュの個体数と体長をTable 1 に示す。30分当たりの釣獲個体数の平均値±標準偏差は,爪木のヨシ帯では0.5±0.3個体,護岸帯では0.2±0.2個体,開放 水面では0.5±0.3個体であり,護岸帯よりもヨシ帯または開放水面の方が明らかに多かったが(Wilcoxon signed-ranks test,ヨシ帯と護岸帯, z=-3.00, P < 0.017; 開放水面と護岸帯,z=-2.48, P < 0.017),ヨシ帯と開放水面との間では有意な差は見られなかった(ヨシ帯と開放水面, z=-0.32, P=0.75)。

Fig.2 採集されたチャネルキャットフィッシュの体長分布


 回りくどい言い方だが早い話、ナマズは護岸帯ではなくヨシ帯か開放水面に多くいたと言うことだ。
 
 調査期間中に採集されたチャネルキャットフィッシュ268個体のうち,91個体(34.0%)が空胃であり,胃充満度指数の平均±標準偏差は0.46±1.09であった。本種の胃内容物中に出現した餌項目は,小型魚類(タモロコ Gnathopogon elongatus elongatus, ワカサギ Hypomesus nipponensis, クルメサヨリ Hyporhamphus intermedius,ブルーギル Lepomis macrochirus macrochirus,モツゴ Pseudorasbora parva,タイリクバラタナゴ Rhodeus ocellatus ocellatus,ヌマチチブ Tridentiger brevispinis の7種で,とくにヌマチチブとモツゴが大半を占めた),大型魚類の断片(ハクレン Hypophthalmichthys molitrix やコイ Cyprinus carpio などの大型コイ科魚類の肉片や鱗,骨,卵巣など),底生・半底生甲殻類(ニッポンドロソコエビ Grandidierella japonica,テナガエビ Macrobrachium nipponense,イサザアミ Neomysis awatschensis,アメリカザリガニ Procambarus clarkii),水生昆虫(コガタシマトビケラ Cheumatopsyche brevilineata,オオユスリカ Chironomus plumosus,ツヤユスリカ属の一種 Cricotopus sp.,カマガタユスリカ属の一種 Cryptochironomus sp.,メスグロユスリカ Dicrotendipes pelochloris,ハイイロユスリカ Glyptotendipes tokunagai,オオミドリユスリカ Lipiniella moderata のユスリカ類6種のほか,ミズアブ類 Stratiomyidae や ガガンボ類 Tipulidae など) ,陸上昆虫(コウチュウ類 Coleoptera,カメムシ類 Hemiptera,ハチ類 Hymenoptera,バッタ類 Orthoptera),陸上植物片(主にヨシの根や茎) ,貝類,糸状藻類など様々であった (Table 2)。

Table.2 摂餌内容物分類

 チャネルキャットフィッシュの体長と胃内容物中から出現した小型魚類の体長との関係を Fig. 4 に示す。チャネルキャットフィッシュによって捕食されていた小型魚類の体長の平均±標準偏差は,ブルーギルで 2.2±0.4 cm,ヌマチチブで2.7±0.5 cm,モツゴで4.0 ±1.1 cm,タモロコで6.0±0.5 cm,ワカサギで6.0±2.4 cm,クルメサヨリで10.4±1.2 cm であった。
 チャ ネルキャットフィッシュの体長と胃内容物中に出現した小型魚類の最大体長との間には有意な正の直線関係が認められ(単回帰分析, n=20, r²=0.499, P < 0.001),本種は成長するにつれてヌマチチブやモツ だけでなく,タモロコやワカサギ,クルメサヨリな のより大きな魚種も餌として利用することがわかった。

Fig.3 体長別の摂餌内容物の割合

 ちょっとくどかったかも知れないが、要はキャットの主なエサは魚、特にヌマチチブとモッゴだということ。そしてキャットにこそ「ビッグベイト ビッグフィッシュ」が成り立っているということだ。

 本種は12~3月には水深4~12 mの平場から深場(離岸距離約600~800 m)に主に出現するが, 4~9月には平場から深場だけでなく水深1 m 程度の 浅場(離岸距離約50 m)でもよく出現するようになることが確認されている(半澤・荒山 2007)。
 なお,本種は夜行性で昼間は物陰に隠れる習性があるが(Brown et al. 1970; Hubert 1999),本調査地の沿岸帯にはヨシ帯のごく浅い場所を除いて隠れ家となる構造物がなく,昼間の沿岸帯での地曳網調査では全く採集されないことが知られているため(碓井 ら 2014),夜になって沖側のかけ上がりや石積みの離 岸堤などの休息場からヨシ帯へと摂餌のために来遊している可能性が高い。

Fig.5 捕獲場所別の摂餌内容物の割合

 本研究では,霞ヶ浦での成熟サイズ(体長約39 cm)(半澤・ 野内 2006)を超えた体長40cm 以上の個体で空胃率が52.9%と著しく高いことが確認された。これには,繁殖に関わる個体の摂餌意欲の低下や(Bailey and Harrison 1948),オオクチバス Micropterus salmoides などの他魚種で指摘されているように成長期の若齢魚と比べて高齢魚ではあまり摂餌しなくなること(淀・ 木村 1998)などが関わっている可能性が示唆される。

 やっぱりそうなんだ。デカキャットもデカバスもあんまりエサを食べなくなるんだ。当たり前か。人間と違ってでかい魚はデブな訳ではなく、歳を取っている魚だからね。人間だって若いデブはたらふく食うけど、年寄りはたいして食べない。一緒だな。

真夏の利根水系 実釣編:その2

 午前中を小見川閘門で過ごした後は、「真夏の利根水系 戦略を練る」で練った戦略通り、横利根閘門に向かった。しかしもう1点のポイントである[水田から抜かれた水を嫌ったバス]については、横利根までの道すがらチェックしていこう。水田からのインレットが近く、そこを嫌ったバス潜んでいるスポットは? 利根川沿いに上流に向かう途中で、いい処を見つけた。与田浦だ。3つある与田浦の湖の真ん中、十二橋の近い湖の奥に連なる用水と機場を見つけた。車を降りて周囲を見回すと、ここも水田の水は既に抜かれ、与田浦に流れ込む用水の水は白茶色に濁り、閉じられた水門の際にはあぶくも立っている。こりゃやはりインレットはダメだ。
 そしてその水門に隔てられた与田浦の水位は用水側より20cmほど低く、それでもほぼ満水だ。湖の水もマッディではあるが、生命感のある色をしている。水門のすぐ右に小さな船溜まりと指し網。左手に100mも行かない湖のコーナーには葦原が広がり、そこまでの岸壁添いに木杭が等間隔に並んでいる。そして今、葦原の左端では漁船が投網を投げて何物かを採っている。イサザアミかシラウオか、いずれにせよベイトはいるんだ。注文通りのスポットと見た。
 
 狙いは決まった。アプローチは岸壁と杭をスピナベで舐めていき、ピンテールネコでトントンと叩く。すると10分後、葦原の10mほど手前の岸キワキワを、底をするように流していたスピナベにコンッと明確なアタリ。軽く合わせるとロッドに重みが伝わった。バスだ! 難なく手繰り寄せたのは25cmのラージマウス。かわいくても1匹は1匹。(写真はない)

 さらに葦原に近付き、ペンシルを躍らせ、クロウのテキサスを葦奥に打ち込むも、ここは反応なし。それではと先ほど漁船が投網を打っていた葦原の左側に移動し、同様に攻めた。その左手には千本杭状の木杭がずっと続いており、これも魅力があったのだが今日の狙いはそこじゃない。再び葦原の右手に戻った。

 先ほどバスを掛けたポイントよりも葦に近いエリアにカットテールのスナッグレスネコを蠢かせていく。絶対いると信じて。すると程なく、ゴツン!明快過ぎるあたりに大き目の合わせをくれると、スピニングロッドが大きく水面に引きずり込まれた。デカい!引き寄せようとするが動かない。なにっ、何とも鈍重な引きだ。この時点でバスじゃないなと思っていたが、敵は4ポンドに調整したドラグをジリジリと引っ張り出していく。ポンピングしないと寄せられない魚に久しぶりに会った。こうなるともうソウギョでもナマズでもいい。
 そして15分、長いやり取りの末にようやく現れたには案の定ナマズ。それも80cmはある大鯰だ。ネットがあれば上げたのだが、手で触るのも嫌だったので無理を承知でラインを引き上げようとしたらプツン。ナマズ君、ごめんね。口の横幅だけで15cmはあった。掛け値なしで4ポンド以上だったと思うよ。5inのカットテールと比較してみて。

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 その後もしばらく粘り、2回ほどあたりも感じたのだがフッキングに至らず。4時に予定の横利根閘門に移動した。
それまでのポイントではほとんど人に合わなかったのだが、横利根閘門はさすが人気スポット、人だらけだった。ちょっと来たことを後悔したのだが、逆に人が入りにくいスポットにバスが逃げ込んでいる可能性もある。それらを拾っていこう。10m置きに入っているバサーの釣りを見学すると、ほとんどがダウンショット、たまにシャッド。そして釣れている気配はない。一人のあんちゃんに様子を聞くと不機嫌そうに首を横に振る(挨拶くらいできないのかな)。ならばそれ以外を試そう。
 閘門での狙いは芦が背高く茂ったポイントの裏側。逆ウェッピングでラバジを投げ込む。まあ、そう簡単じゃないわな。終日曇りのこの日は夕暮れも早い。少し明るさが落ちて来たところで、沖目のブレイクに狙いを変更して重めのクランクとスピナベを遠投した。底にはいろんなものが絡みついて残っているらしく、2ケもロストしてしまった。もっと表層の攻めで良かったのかも。
 その後、薄暗くなるまで粘ったがノーバイト、ノーライズ、ノーベイト。戦略は外れたのかも知れない。そう言えば2時間ほどの間、閘門は1回も開かれなかった。水流も感じられなかった。それも戦略からは外れていた。

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             (その1 に戻る)

 今回は25cmバスと80cmナマズ(逃げたけど)。ナマズでもあれだけ引いてくれれば楽しいよ。次回はちゃんとランディングネットを持って岸辺に立つことにしよう。

真夏の利根水系 実釣編:その1

 さて曇天の利根水系、午前11時という釣りを舐めた時間に到着したのは計画通りの小見川閘門。お盆の土曜日だと言うのに釣り人は少ない。メジャーなスポットではないという事ね。大いに結構。いつもにようにまずは状況見分。
気温25℃、曇天、北西からの弱風。水温 24.5℃、下がったな。少しマッディだが悪い水色ではない。そして想定通り閘門の利根川側は常陸利根川より水位が高い。4~50cmくらいか。先行者は常陸利根の上流側に2人。
 まずどちらに入るか。常陸利根川の対岸にマリーナがあり、閘門は頻繁に開閉する。現に目の前でバスボートが1艇通過した。水は動いている。地形は?常陸利根川の方は両岸とも護岸、本流との合流部に水草。利根川の方が護岸の長さは短く、やはり本流合流部は広大な水草、そして下流側にワンドがある。地形的には利根川側が魅力だな。惜しむらくは閘門上の橋が仮設の鉄板張りで、車が通るたびに派手に音を立てる。こりゃ魚は近づかないな。ならば利根川サイド下流側のワンドを中心に攻めよう。風が当たるのもありがたい。
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 ワンドにはヘラ座が据えてあり、オダも入っている。岸際の水深は50cm、ほぼ満水だ。作戦としてはヘラ座やオダ廻りをスピナベで叩いてから、ライトテキサス。無反応ならその奥の葦際へスナッグレスにしたネコだ。
・・・早くも1時間経過。う~ん、いつもながら渋いな。いい感じの川相をしているんだがな。
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 と、ここでびっくりの光景を目撃。常陸利根側から閘門を通って来た2台のバスボートが、微速で利根川に出ようとしていた時、その引き波の周りが何やら騒がしい。何だぁありゃぁ?巨大ナブラ!ハヤやウグイじゃない、50cmはあろうかという大きな魚が全部で100匹はいただろうか、ジャンプしまくっている。ボラだ、ボラの大群だ。あんなの初めて見た!第一ここってあんなにボラがいたのかいな。
動画はここをクリック。
https://youtu.be/1LfyXu4ZbA8

 ボラがあんなにいるくらいだからバスもいるはずと見るか。あんなにボラがいたらバスはいないと見るか。俺は後者を取った。で、移動。
 「真夏の利根水系 戦略を練る」でも述べたが、今回のポイントの一つに水田の水抜きがあった。で実際に確かめてみると、やっぱり抜かれている。今週の雨にも関わらずだ。稲穂も既に頭を垂れている段階だ。これは用水には肥料・農薬交じりの嫌な水が流れているな。インレットはだめだ。バスは敬遠して移動するだろう。
 いや待てよ。そいつらはどこに行く?本流や湖に近いインレットにいたバスは、そこに下って身を潜めているんじゃないのか?用水の払い出し近くにバスが潜めるようなスポットがあれば、それは逆にチャンスだ。よし、メインは横利根閘門を目指すとして、道すがらそんなスポットを打っていこう。

       (その2に続く)
 

真夏の利根水系 戦略を練る

 よし、釣りに行くぞ。今回も利根水系だ。決行は8月12日。お盆休み突入後の土曜は、釣り人の減った利根でも人でごった返すことだろう。ではいつものように戦略を立てよう。

 今週はよく雨が降った。気温も低めだ。これはバス釣りには良い兆候だ。ポイントは月曜の台風による大雨だな。その後もシトシト程度とは言え雨模様の秘が続き、川の水量は一気に増えただろう。下流にある常陸川水門、利根川河口堰はこのところ通常運用。すると流域面積が絶対的に広い利根川は、常陸利根川よりも水位が上がる。この流れがポイントと読んだ。
 真夏の暑さと少雨が続いた7月から8月上旬、水温は上昇し水質は悪化の一途だ。北浦上流ではアオコ・赤潮の発生も報告されている。そこにこの雨、恵の雨だろう。ならばカレントが効く場所を求めてバスは動く。北浦であればいくつかの岬が思い浮かぶが、上述のアオコの影響がうれしくない。ならば小河川か。しかし水位差が大きい時期には両河川を繋ぐ水路の水門は閉じている。いくつかの水門を除いては。それが閘門、船が行きかうための2重水門だ。利根川下流域には3つある。横利根、小見川、萩原だ。ここなら不定期に水門は開閉し、カレントが効く。よし、まずは小見川閘門、様子を見て横利根閘門を攻めよう。

 もう一つ、気に掛かることがある。それは水田の水。茨城の米は早稲が多い。市場にいち早く新米を投入し、販売量を確保したいという意図であろう。まあ秋が深まって東北や新潟の新米が出回れば、消費者はそちらに手を伸ばすものね。すると利根川流域の水田は早くも水抜きに掛かっている可能性がある。これは現地で実際にチェックして判断すればよいが、もしも既に水が抜かれているようなら、小さなインレットは回避だな。
 お決まりのドックはどうか? 川の水量が増えドックに新鮮な水と共にバスが入ってい来る可能性は高い。悪くないと見るが、あとは好みの問題。俺は上述の閘門を中心に攻めるね。

 よし、決まった。午前中は小見川閘門 → 様子見でどこか → 夕刻は横利根閘門 で行こう。出発は都合があって遅いのだが、なんとか午前中には現地入りできる。行くぞ!

ルアーフィッシング黎明期 その8 : バスフィッシングの変遷

 長い事バスフィッシングをやっていると、釣りテクニックの変遷を自ら体感することになる。思えば日本にワームがなかった時代から超ビッグプラグ全盛の現在まで、幾多の釣りテクの栄枯盛衰があった。知っている限りではあるが、それらを追っていこう。ただねぇ、昔過ぎて年代が薄憶えなんだよねぇ。

1970年代
 ルアーフィッシング黎明期 その4でも触れたが、日本に初めてワームを紹介したのがテツ西山氏。1974年のことだ。それ以前は当然ハードルアーオンリー。釣り方も投げては引く、ただ引く。ラパラ、ジッターバグ(フレッドアーボガスト)、ビッグオー(コットンコーデル)、キラーB(バグリー)、マグナムトーピード・スーパーソニック(ヘドン)・・・。どれもまだまだ現役でいけそうだ。70年代前半は俺はまだ高校生。日本にバスもあまりおらず、釣れない日々が続いたなあ。
 
 そんな中、テツ西山氏がイレブンフィッシングの中でワームを紹介した。これがバカみたいに釣れていた。バス釣り=釣れないという図式の時代にである。放送後にトリックだろうと投書がたくさん来たそうだ。で、70年代後半には日本でもワームが発売された。当然アメリカ製。あまり種類はなく、リングワームとカーリーテールくらいだった。値段は安かったがすぐにだめになった記憶しかない。俺は昔からワームはあまり好きじゃなかったんだ。

1980年代
 日本にルアーフィッシングが定着し、知らぬ間にバスのいる湖も増えて行った。バス人口も増えたが、それ以上にバスは増えた。80年代前半は日本でバスが一番釣れた時代。どこに投げても食ってきたし、何を投げても釣れた。そう言えば村田基って・・・でも書いたが、アタリマエの釣りは面白くないとさえ思えた時代だ。うらやましいでしょ。
 1985年にはJBプロトーナメントが始まる。85~86年のトーナメント黎明期の勝者には、林圭一、泉和摩 、菊元俊文 、鈴木知司 等々。 今江克隆、田辺哲男、沢村幸弘、下野正希 、反町裕之 の登場は1987年。まさに一斉に花開いたという様相だ。名前を列挙するだけでも当時のバスブームの興隆が感じ取れるだろう。
 釣り方もいわばストロングスタイル。今江のディープクランキング、林のフリッピング、田辺のシャローゲーム。チマチマしていたら負けなのよ。

1990年代
 世はまさにバスフィッシングブーム。ファッションのようにバス釣りをし、釣り場が増え、メーカーも増えた。休日の北浦霞が浦はラッシュ状態。そして突然、釣れなくなる。個人的にも全国的にも。バス人口が激増し、プレッシャーが極端に大きくなったのだ。加えてバカなバスマンの愚行に業を煮やした漁業者が次々と漁港を釣り禁止にする。負のスパイラルに落ちていく。
 すると様々に工夫を凝らす人が出てくる。その代表が村上晴彦。常吉リグやネコリグの登場だ。それまでテキサスだのキャロライナだのしかなかったワームテクに、新風を吹き込む。考えてみればただの胴付仕掛けやゴカイのチョン掛けなのだが、バスのワームでこれをやろうと言う人はいなかった。あっぱれである。
 
 それにワーム自身も変遷していく。この頃の流行りは、コンサバなグラブやリングワームに加え、パドルテールやチューブが出てきた。チューブって何故か今はあまりやらないが、ジグヘッドでのスパイラルフォールは効くんだけどなぁ。
 それにワームの巨大化! 6in,7inはアタリマエ。10inなんてバケモノを投げるようになる。今は亡き津久井の矢口釣り具のおやじさんが、「津久井で釣るんならフックは#5/0以上だから」って言ってたのを笑って聞いていたけど、彼は冗談でも何でもなかったのだ。

2000年代
 バスバブルが弾け、中小メーカーは倒産、撤退。そして2005年には外来生物法が成立し、ブラックバスはギルと共に特定外来生物に指定される。冬の時代の到来だ。これについては[ アカゲザルの交雑種駆除」からブラックバスの現在を考える ]でも触れているので割愛。
 釣り方、釣り具に関してのエポックはPEラインの登場だろう。1990年代から海用、特に船釣りには伸びの少なさと高感度から使われていたPEラインが、2000年初頭からバスフィッシング用に販売される。一度使ってその感度の高さに愕然としたものだ。それまでの高感度ラインであるフロロカーボは何だったのか、という感触。
 PEラインの細さ強さしなやかさはパワーフィネスという手法をもたらす。スピニングリールと軽量ルアーによるゲームは、それまでとは異なる感覚を与えてくれた。今はベイトフィネス花盛りだけど、原点はスピニング。みんなメーカーに踊らされていないか?

2010年代
 デカバスの逆襲! 俺の持論は22.仮説:デカバスは子バス淘汰が生み出すで述べた通りだが、理由はともかく湖にデカバスが戻って来た、そう感じている。琵琶湖、池原はもちろんのこと、亀山、津久井、早明浦あたりからサイズアップのニュースが流れてくる。
 これには釣法の変化も影響しただろう。ビッグベイトブームの到来だ。ジョインテッドクロー、ブリムスライド、i-Slide 等々。やたら高いルアーのオンパレード。ワームもしかり。矢口のおやじさん、アナタの時代が来たよ!


 俺自身はと言うと、あまり変わっていないな。相変わらずストロングスタイルだし。相変わらず釣れない君だし。ひとつ言えることは、プレッシャーを受け続けるすれたバスに、見たこともないようなルアー、見たこともないような技法を使うのはありだと思うよ。それは新しいルアーばかりじゃなくて、ここ10年は廃れてしまったルアーでも同じってこと。バスプロはメーカーに抱えられている商売だから新製品ばかり使わざるを得ないが、俺達には関係ない。先にも書いたが、チューブのスパイラルとかノーシンカースティックベイト(スラッゴーはよく釣れた)とか、逆に魚には新鮮じゃないの? 今じゃそう言うワーム自体が貴重品になっちゃった。

 次の10年、いったいどうなる事やら。願わくばバスとバスマン自身に安らかな時代であってほしい。

ルアーフィッシング黎明期 その7 : 村田基 VS 田辺哲男

 さて「あの頃のバスプロ」について少し思い出そう。釣り雑誌にルアーの記事が載るようになり、バスについての情報が少しずつ世に出てくる。日本初のバスプロは吉田幸二というのは有名な話。1984年のことだ。しかし実は彼が日本初ではなかった。先駆者がいたのだ、アメリカに。ヒロ内藤である。ヒロ内藤がアメリカのB.A.S.S.に初参加したのは1983年、そのとき俺はアメリカにいた。仕事で約1年間、LA南部のHuntington Beach に住んでいた。
 
 その頃の思い出話は尽きないのだが、それは後日。俺が住んでいたアパートはプール、テニスコート、ジム付の2LDK。それが30前の独身男の普通の暮らしなのだ。こりゃあ向こう50年は日本は敵わないと思い知ったよ。で、日本には影も形もなかったケーブルテレビも当然完備している。ほぼ今の日本のプログラムが35年前のアパートで見られる。「釣りチャンネル」もあったよ、名前は違うけど。色々な本場のテクニックもテレビを通して会得していった。
 そこでヒロ内藤なる日本人が紹介されていたのだ。改めて彼のプロフィールを見ると「1983年、B.A.S.S. Master Classicに日本人初のプレスアングラーとして参加」となっているので、トーナメントプロとは違うのだろうが、バスフィッシングの世界で単身アメリカに渡って根を張った最初の日本人だろう。実際、その時彼はバグリー社に勤務していたのだ。宇宙飛行士 向井千秋氏の弟だし。遅れて1984年、田辺哲男がB.A.S.S.にトーナメンターとして参加するのだ。

 その田辺と村田基の対談がシマノTVで公開されている。ちょいと面白いので覗いてみてね。

 この対談では村田が「ブルブリング」なんてアホな名前を付けて、ワームのシェイキングを初めて田辺に紹介したと話している。田辺がアメリカに行って帰って来た時のことらしく、恐らくは1985年あたりの出来事だ。そう、ワームのテクってそんなレベルの時代だったのだ。
 ちょっと待てよ。それって俺が村田の前でアメリカ仕込みのトゥィッチングを披露した後じゃん。村田は俺の技を盗んだのか?(マタ偉ソウニ、マァ) 詳しくは[釣れづれなるままに そう言えば村田基って]を参照されたし。
年表的にまとめてみようか。
     俺   ヒロ内藤      田辺哲男     村田基 
1955  誕生   誕生
1958                  誕生       誕生
1962 釣り開始 
1968 初バス
1983 渡米    BASS参加
1984 鹿島港事件           BASS参加   WaterLand起業
1985                       ブルブリング紹介
1988        ロッド発売     JB三冠王

 そうか、俺の伝授したテクが回りまわって田辺哲男を三冠王に押し上げたのか。これからは己をKing Makerと呼ぶことにしよう。(オマエ、絶対思イ過ゴシダカラ)
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