プロフィール

ころた

Author:ころた
芦ノ湖と相模湖にしかバスがいない頃にルアーを始めた。師匠は常見忠、開高健(心の師匠ね)。吉田幸二よりは若い、ちょっとだけ。
30数年間の技術者としてのサラリーマン生活を終え、いまや悠々自適(と言うほど余裕はない)。技術者の悪い癖で理屈ばかりにやたらうるさい。当然、釣りも理屈詰めとなる。よって頼りにしたのは科学文献。文献検索を重ね魚類や湖、その植生などを紐解くと、出るは出るは面白情報の山。その一部をおすそ分けします。

HP復活から

琵琶湖のバス釣り有料化?

西の方が喧しい。
11月15日付け毎日新聞によると、「滋賀県知事が琵琶湖の外来魚釣りの有料化」の検討を開始するという。[宮本和宏守山市長が「釣り客はゴミも出すなど琵琶湖に負荷をかけており料金を取るべきだ」と提案し、三日月滋賀県知事が答えた。 ]と記されている。
行政は相変わらずステレオタイプの物の見方しかしないなぁ、と感心してしまうが、きちんと考えてみよう。

まず釣りの有料化については私自身は全面的に反対とは言わない。しかるべき金額にして、しかるべき金の使い方をするのであれば、有料化もアリだろう。そもそも我々釣り人は、湖や海に出かけてタダで魚を釣り、幾ばくかの負担をその地に掛けて帰っていく。良識のあるアタリマエの釣り人なら、ゴミを持ち帰る・釣り場を汚さない・何でも根こそぎ釣らない・違法駐車はしない・騒音は出さない、と言った配慮はしている。それでも根掛りした仕掛けや糸は水の中に残すし、交通渋滞を引き起こし排気ガスで空気を汚す。色々な負担を地元に掛けているんだという事を自覚するべきだ。
ましてここに愚か者が混じる。確かに多くはないだろう、と信じたい。が10人に1人、いや100人に1人の愚か者がいれば、それだけで湖や海を汚し、漁港を荒し、地元に迷惑を掛ける。私自身も釣り場で何人もの愚か者を目撃し、何度かは「ゴミは持ち帰れ」と注意して喧嘩になりかけたことがある。バカはどこまでもバカなのだ。そのようなバカは比較的簡単に見つかる。守山市長も見かけたことがあるのだろう。100人に1人のバカは釣り人の代表になってしまうのだ。

対して我々はどれだけの金を地元に落しているのか?大したことはない。せいぜいが食事代くらい。たまにはボートをレンタルするにせよ、釣りで潤っているのは釣り具メーカーなのだ。ならば地元に還元する手段としての入漁料なら払ってもいいのではないか。
別にバス保護のために使え、なんて言わない。環境保全のために広く使って貰えばいい。今さら河口湖みたいにバスの放流なんてのも不要だ。琵琶湖に住む外来魚が在来種に影響を与えていることは事実なのだから。(もちろんそれが在来種激減の原因の全てではないことは、「文献から読み解くバス」のあちこちで証明されている。)

県としての議論はこれからだろうが、入漁料の設定はそう難しいことではないだろう。一方、釣り具メーカーは大騒ぎするし、釣り団体も黙っちゃいるまい。しかし琵琶湖全体、釣りを巡る状況全体をよ~く考えて対応すべきだ。釣りは全面禁止、ブラックバスは税金をかけてでも底引き漁で一網打尽、なんてシナリオが最も愚かで最も非効率的だぞ。釣り人の欲求、地元の利益、メーカーのそろばん、在来種保護の立場、バランスをよくよく考えようよ。

逆に前出のバカ対策をどうにかしないか。シンガポールみたいに「湖をよごしたら即、〇〇万円!」でいい。厳罰に処さないと、こういうバカに再教育なんて無駄なんだから。

あっちのドックは釣れるが、こっちのドックは釣れない、のは何故か?

 ホームグラウンドである北浦・常陸利根川水系には多数のドックが存在して、バスのポイントになっている。しかし、いつ行ってもほぼバスを掛けることのできるドックと、何回行っても釣れないドックがある。その差は何なのか? 考察してみよう。( と言うか、単独釣行の時には「釣れない、バスがいない」と思われるドックにはハナから行かないが)

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 例えば常陸利根川下流域の某ドック。ドック自体には何の変哲もないドックだが、バスのストックは多く、ほぼボウズを食らわない。それはなぜ?
ポイントは潮の干満であろう。川で潮流?と思うだろう。まして常陸利根川は常陸川水門により潮を堰き止めていて、利根川本流と同様に今は完全淡水化されている。しかし逆に潮の干満に合わせて水門の操作を行っているため、川の水位は潮の水位と共に上下する。満潮時には海からの逆流を防ぐため水門を閉鎖し、干潮時には開放する。よって常陸利根川の水位は潮とほぼ同期して上下するのだ。
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 すると何が起こるか。ドックは呼吸をするのだ。常陸利根川の水位変化に合わせて、高水位時はドックには川からの深浅な水が流入し、低水位時には流出する。澱んでいるのが常のドックに新鮮な水が供給される。それだけではない。狭い水門を通る水流にドックの底に溜まっているヘドロ・ゴミが流される。ドックの澪筋にはバスの好きなきれいなボトムが出現することになる。よって後輩達がしきりに岸際やボート裏を狙っている中で、俺はもっぱら澪筋狙い。それが功を奏する時も、後輩にしてやられる時も・・・
 まあ、釣りは己が納得できるかどうかだから。偶然バスが釣れたっておもしろくないでしょ。自分の組み立てたタクティクスの証拠がバスなんだから。

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 しかしそれならば、常陸利根川下流部のドックはどれも同じだ。でもココは釣れてアソコは釣れない。じゃあココには何がある? 実はココは常陸利根川南岸で常陸水門から最初のドックなのだ。バスは基本的に岸沿いにマイグレーションしてくる。その彼らが最初にたどり着くのがこのドックになる。
 一方で川の北岸にはより多数のドックが存在する。もっと水門に近いドックもたくさんあるが、それらに実績があるかと言うと、そうでもない。言わば密度が低いのだ。バスが多数のドックに分散しているのだ。

 水門操作による水位変化は最大で50cm程度。ドックにとっては大きいよ。バスもベイトも水流に誘われて移動するので、水位上昇に伴い水がドックに流入している時はドック内を、流出している時はドック外を狙う。タイミングは潮位表と水門操作スケジュールを照らしあわせれば計画できる。スケジュールは。「霞ヶ浦河川事務所」を参照されたし。(以前の「釣れ釣れなるままに」でも書いたね。)
 雨が多くて常陸利根川の水位が高い時には、潮位とは関係なく水門操作をする時もある。下の写真撮影時には干潮時、海側の水位は常陸利根川の水位より1mも低くなっていた。水門操作は行われず、ドックの水位はほぼ変化なしだった。

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 などと考えながらポイント選定していくと、ここはダメそうでアッチはヨサゲなんて考えるようになる。それがはまった時のうれしさはまた格別。外れたら? また考えればいいさ。
 


ルアーフィッシング黎明期 その8 : バスフィッシングの変遷

 長い事バスフィッシングをやっていると、釣りテクニックの変遷を自ら体感することになる。思えば日本にワームがなかった時代から超ビッグプラグ全盛の現在まで、幾多の釣りテクの栄枯盛衰があった。知っている限りではあるが、それらを追っていこう。ただねぇ、昔過ぎて年代が薄憶えなんだよねぇ。

1970年代
 ルアーフィッシング黎明期 その4でも触れたが、日本に初めてワームを紹介したのがテツ西山氏。1974年のことだ。それ以前は当然ハードルアーオンリー。釣り方も投げては引く、ただ引く。ラパラ、ジッターバグ(フレッドアーボガスト)、ビッグオー(コットンコーデル)、キラーB(バグリー)、マグナムトーピード・スーパーソニック(ヘドン)・・・。どれもまだまだ現役でいけそうだ。70年代前半は俺はまだ高校生。日本にバスもあまりおらず、釣れない日々が続いたなあ。
 
 そんな中、テツ西山氏がイレブンフィッシングの中でワームを紹介した。これがバカみたいに釣れていた。バス釣り=釣れないという図式の時代にである。放送後にトリックだろうと投書がたくさん来たそうだ。で、70年代後半には日本でもワームが発売された。当然アメリカ製。あまり種類はなく、リングワームとカーリーテールくらいだった。値段は安かったがすぐにだめになった記憶しかない。俺は昔からワームはあまり好きじゃなかったんだ。

1980年代
 日本にルアーフィッシングが定着し、知らぬ間にバスのいる湖も増えて行った。バス人口も増えたが、それ以上にバスは増えた。80年代前半は日本でバスが一番釣れた時代。どこに投げても食ってきたし、何を投げても釣れた。そう言えば村田基って・・・でも書いたが、アタリマエの釣りは面白くないとさえ思えた時代だ。うらやましいでしょ。
 1985年にはJBプロトーナメントが始まる。85~86年のトーナメント黎明期の勝者には、林圭一、泉和摩 、菊元俊文 、鈴木知司 等々。 今江克隆、田辺哲男、沢村幸弘、下野正希 、反町裕之 の登場は1987年。まさに一斉に花開いたという様相だ。名前を列挙するだけでも当時のバスブームの興隆が感じ取れるだろう。
 釣り方もいわばストロングスタイル。今江のディープクランキング、林のフリッピング、田辺のシャローゲーム。チマチマしていたら負けなのよ。

1990年代
 世はまさにバスフィッシングブーム。ファッションのようにバス釣りをし、釣り場が増え、メーカーも増えた。休日の北浦霞が浦はラッシュ状態。そして突然、釣れなくなる。個人的にも全国的にも。バス人口が激増し、プレッシャーが極端に大きくなったのだ。加えてバカなバスマンの愚行に業を煮やした漁業者が次々と漁港を釣り禁止にする。負のスパイラルに落ちていく。
 すると様々に工夫を凝らす人が出てくる。その代表が村上晴彦。常吉リグやネコリグの登場だ。それまでテキサスだのキャロライナだのしかなかったワームテクに、新風を吹き込む。考えてみればただの胴付仕掛けやゴカイのチョン掛けなのだが、バスのワームでこれをやろうと言う人はいなかった。あっぱれである。
 
 それにワーム自身も変遷していく。この頃の流行りは、コンサバなグラブやリングワームに加え、パドルテールやチューブが出てきた。チューブって何故か今はあまりやらないが、ジグヘッドでのスパイラルフォールは効くんだけどなぁ。
 それにワームの巨大化! 6in,7inはアタリマエ。10inなんてバケモノを投げるようになる。今は亡き津久井の矢口釣り具のおやじさんが、「津久井で釣るんならフックは#5/0以上だから」って言ってたのを笑って聞いていたけど、彼は冗談でも何でもなかったのだ。

2000年代
 バスバブルが弾け、中小メーカーは倒産、撤退。そして2005年には外来生物法が成立し、ブラックバスはギルと共に特定外来生物に指定される。冬の時代の到来だ。これについては[ アカゲザルの交雑種駆除」からブラックバスの現在を考える ]でも触れているので割愛。
 釣り方、釣り具に関してのエポックはPEラインの登場だろう。1990年代から海用、特に船釣りには伸びの少なさと高感度から使われていたPEラインが、2000年初頭からバスフィッシング用に販売される。一度使ってその感度の高さに愕然としたものだ。それまでの高感度ラインであるフロロカーボは何だったのか、という感触。
 PEラインの細さ強さしなやかさはパワーフィネスという手法をもたらす。スピニングリールと軽量ルアーによるゲームは、それまでとは異なる感覚を与えてくれた。今はベイトフィネス花盛りだけど、原点はスピニング。みんなメーカーに踊らされていないか?

2010年代
 デカバスの逆襲! 俺の持論は22.仮説:デカバスは子バス淘汰が生み出すで述べた通りだが、理由はともかく湖にデカバスが戻って来た、そう感じている。琵琶湖、池原はもちろんのこと、亀山、津久井、早明浦あたりからサイズアップのニュースが流れてくる。
 これには釣法の変化も影響しただろう。ビッグベイトブームの到来だ。ジョインテッドクロー、ブリムスライド、i-Slide 等々。やたら高いルアーのオンパレード。ワームもしかり。矢口のおやじさん、アナタの時代が来たよ!


 俺自身はと言うと、あまり変わっていないな。相変わらずストロングスタイルだし。相変わらず釣れない君だし。ひとつ言えることは、プレッシャーを受け続けるすれたバスに、見たこともないようなルアー、見たこともないような技法を使うのはありだと思うよ。それは新しいルアーばかりじゃなくて、ここ10年は廃れてしまったルアーでも同じってこと。バスプロはメーカーに抱えられている商売だから新製品ばかり使わざるを得ないが、俺達には関係ない。先にも書いたが、チューブのスパイラルとかノーシンカースティックベイト(スラッゴーはよく釣れた)とか、逆に魚には新鮮じゃないの? 今じゃそう言うワーム自体が貴重品になっちゃった。

 次の10年、いったいどうなる事やら。願わくばバスとバスマン自身に安らかな時代であってほしい。

ルアーフィッシング黎明期 その7 : 村田基 VS 田辺哲男

 さて「あの頃のバスプロ」について少し思い出そう。釣り雑誌にルアーの記事が載るようになり、バスについての情報が少しずつ世に出てくる。日本初のバスプロは吉田幸二というのは有名な話。1984年のことだ。しかし実は彼が日本初ではなかった。先駆者がいたのだ、アメリカに。ヒロ内藤である。ヒロ内藤がアメリカのB.A.S.S.に初参加したのは1983年、そのとき俺はアメリカにいた。仕事で約1年間、LA南部のHuntington Beach に住んでいた。
 
 その頃の思い出話は尽きないのだが、それは後日。俺が住んでいたアパートはプール、テニスコート、ジム付の2LDK。それが30前の独身男の普通の暮らしなのだ。こりゃあ向こう50年は日本は敵わないと思い知ったよ。で、日本には影も形もなかったケーブルテレビも当然完備している。ほぼ今の日本のプログラムが35年前のアパートで見られる。「釣りチャンネル」もあったよ、名前は違うけど。色々な本場のテクニックもテレビを通して会得していった。
 そこでヒロ内藤なる日本人が紹介されていたのだ。改めて彼のプロフィールを見ると「1983年、B.A.S.S. Master Classicに日本人初のプレスアングラーとして参加」となっているので、トーナメントプロとは違うのだろうが、バスフィッシングの世界で単身アメリカに渡って根を張った最初の日本人だろう。実際、その時彼はバグリー社に勤務していたのだ。宇宙飛行士 向井千秋氏の弟だし。遅れて1984年、田辺哲男がB.A.S.S.にトーナメンターとして参加するのだ。

 その田辺と村田基の対談がシマノTVで公開されている。ちょいと面白いので覗いてみてね。

 この対談では村田が「ブルブリング」なんてアホな名前を付けて、ワームのシェイキングを初めて田辺に紹介したと話している。田辺がアメリカに行って帰って来た時のことらしく、恐らくは1985年あたりの出来事だ。そう、ワームのテクってそんなレベルの時代だったのだ。
 ちょっと待てよ。それって俺が村田の前でアメリカ仕込みのトゥィッチングを披露した後じゃん。村田は俺の技を盗んだのか?(マタ偉ソウニ、マァ) 詳しくは[釣れづれなるままに そう言えば村田基って]を参照されたし。
年表的にまとめてみようか。
     俺   ヒロ内藤      田辺哲男     村田基 
1955  誕生   誕生
1958                  誕生       誕生
1962 釣り開始 
1968 初バス
1983 渡米    BASS参加
1984 鹿島港事件           BASS参加   WaterLand起業
1985                       ブルブリング紹介
1988        ロッド発売     JB三冠王

 そうか、俺の伝授したテクが回りまわって田辺哲男を三冠王に押し上げたのか。これからは己をKing Makerと呼ぶことにしよう。(オマエ、絶対思イ過ゴシダカラ)

ルアーフィッシング黎明期 その6 : 平砂浦の波頭をスズキが走る

 釣りの上で人から「すげぇ」と言われた人生2回目の出来事は、高2の夏に訪れる。時は1972年8月、場所は千葉県平砂浦。なんだまたバスじゃないのかよと言うツッコミは甘んじてお受けする。実は俺はバス釣りが下手なのだ。
 今でこそ平砂浦はサーファーのメッカになってしまい、投げ釣りなんて自由にできない海になってしまったが、その頃はバスフィッシングがマイナーなのと同様、サーフィンもマイナーだった。平砂浦は投げ釣り天国だったのだ。で、狙いは当然スズキ。シーバスなんて呼ばなかったよ、スズキだよ。ルアーも至ってシンプル。ラパラF-9の根元にでっかい卵浮きを付けて、投げ竿でえいやっと投げ、ひたすら巻き取る。ルアーは他にはいわゆる弓ツノだ。今は釣具屋でもまず見ないが、大き目の針を水牛のツノに埋め込み、鳥の羽なんかで飾り付けた日本の伝統疑似餌。アワビなんかで飾り付けてあって結構お高い。まだ売っているのかなと思っていたら、ちゃんとヤマシタから売られていた。プラスチックだけどね。これも卵浮きでうぉりゃ~と投げる。すると釣れない。

ツノ

 いくら大昔でもやっぱ簡単には釣れんのよ。この時は両親と近所の板前をやっている知人と4人で行って、俺と父親が釣って来た獲物をその場で捌いて食べちゃおうという企画だったのだが、そんななので朝飯は塩握りだけでオカズなし。そろそろ昼飯時も近づいてきた頃には、板さんの「魚はまだか~」という催促の声も遠ざかって来た。で、父親はスズキを諦めて餌釣りに狙いを変えた。しばらく釣っているとポツポツとキスやハゼが上がった。

 俺はそれでもひたすら投げ続ける。夏の平砂浦には土用波が繰り返し押し寄せ、夏の太陽がさんさんと降る注ぐ。広大な砂浜にはほぼ俺達だけ。それだけで十分気持ちいい。そんな時、きれいにブレイクしていく波を見ていると、30mほど沖の大波のショルダーを黒い影が物凄いスピードで横切っていく。魚だ、それもデカい! しかも何匹もいる。俄然やる気を出してキャストを繰り返す。知らぬうちにリトリーブスピードが速くなる。これが良かったのか、数投の後に今まで経験したことのない強いアタリがロッドに伝わる。全力の合わせ。掛かった! ポンピングしなければリトリーブできないという経験も、その時が初めてだ。そしてスズキの豪快なエラ洗い。全身の血が頭に昇っていく。慎重に慎重に、いやラインを緩めるんじゃない。ドラグはちゃんと調整してあるか?ラインの結び目はもつのか?色々な思いが交錯する。
 ものすごく長い時間が経過した気がした。いや実際には数10秒なんだろうな。波に乗せるようにしてビーチに引き上げたスズキは約95cm。初めて見る巨魚だ。意気揚々と両親の元に持って帰った。
「おぉ!〇〇ちゃんすごいじゃねぇか!」
「ホントに釣って来たの!」
賞賛の嵐だ。そして板さんオジサンの捌いたスズキの洗いの旨いのなんの。波頭を横切る魚影、30m先で炸裂する飛沫、波と共に引き寄せられたスズキ、そして洗いの旨さ。高校時代最高の思い出かもしれない。惜しむらくはこのスズキが未だに自己ベストのまま未更新なことだ・・・
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