プロフィール

ころた

Author:ころた
芦ノ湖と相模湖にしかバスがいない頃にルアーを始めた。師匠は常見忠、開高健(心の師匠ね)。吉田幸二よりは若い、ちょっとだけ。
30数年間の技術者としてのサラリーマン生活を終え、いまや悠々自適(と言うほど余裕はない)。技術者の悪い癖で理屈ばかりにやたらうるさい。当然、釣りも理屈詰めとなる。よって頼りにしたのは科学文献。文献検索を重ね魚類や湖、その植生などを紐解くと、出るは出るは面白情報の山。その一部をおすそ分けします。

HP復活から

ルアーフィッシング黎明期 その4 : 遂に憧れのミッチェルが!

 時代は1970年代に入ろうとしていた。小遣いのほぼ全てをルアーに投入していた俺のコレクションは増えていく。ラパラのFとCD,ジッターバグ,クレージークローラー,スーパーソニック,ハイロー,ロングA 等々々・・・。ワームは買わなかったのかって?買わないのではなく買えない、日本にはまだワームはなかったのだ(いい時代でしょ)。
 日本に初めてワームを紹介したのは、かのテツ西山と言われている。wikiによれば氏がワームを初めて日本に紹介したのは1974年、11PM(またもイレブンフィッシングだ!)でのことらしい。俺の中学時代にはなかったのだ。その後、テツ西山氏は死んだ魚の身体からワームが大量に出てくることに心を痛め、以後、自ら日本に広めたワームに手を出さなかったと言う。後年の氏はもっぱらフライマンという印象だったが、その背景にはこんなエピソードがあったのだ。今のパツキンヘラヘラバスプロよ、お前たちにそんな気概があるか?

 さて俺自身の話に戻ろう。中2中3と相模湖メインで釣行を重ね、たま~にはバスを手にすることができた。もっぱら単独オカッパリ、電車釣行だ。まだ廻りにほとんどバスアングラーはいない。相変わらずたま~に釣れても自慢をする相手もいないのだが、愛用のメップスミノーに加え、最初にラパラ F-7 銀青でバスを上げた時には思わず踊っちゃったね。これも写真に収めておきたかったのだが、中学生が自由に使えるほどカメラは安くはなく、写ルンですもまだ世に出ていなかった。父親のカメラはハッセルブラッドの2眼レフだったよ。そんなもん借りられない。
 毎月の小遣いはルアーに消えたが、正月に貰うお年玉はぐっとがまんして3年間手を付けずにいた。俺には野望があった!憧れのミッチェルを買うのだ!!  釣り本によればスピニングならミッチェル両軸ならアンバサダーというのが定石。日本製はダイワもオリンピックも模造品の域を出ない。俺はメインはバスだがたまには川のトラウトもやりたいなぁ。ならばミッチェル。よし410で決まりだ!当時の値段で410が1万円ちょっとだったと記憶している。
 お年玉3年分でもロッドに掛けられる金はそう残っていない。仕方がない、ここは国産のグラスロッドで我慢しよう。その頃ようやくルアーを扱うようになった近所の釣具屋に行ってミッチェルをオーダーする。街の小さな釣具屋にフランス製リールなんて在庫してはいない。俺は鼻高々で釣具屋のオヤジに注文した。オヤジがどこに発注したのかは知らんが、2か月も待たされてようやく入庫した。まあどうせ冬だからいいか。それがこれよ!!

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 まだちゃんと働くよ。この卵型のフォルムがかわいいのよね。ハンドルも今のリールに比べれば軽くはないが、当時の国産品にはないスムーズさ。オートのベイルリターンのかっこいいこと!毎日自宅でシャドーフィッシングしていたな。オイルなんかやり過ぎてベトベトだ。スペアスプールもプラスチックのケースにさりげなく入っている。

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 一方、ロッドはオリンピックのペナペナグラスを購入。いまで言うならウルトラライトに近いかも。もう何10年も前に壊れて捨ててしまったが、ブランクが半透明で光が透けるという2本継ぎロッドだった。バス用と言うよりトラウト用だな。
 そしてこの新たなる武器を携えて魚を釣るのは2か月後、忘れもしない1970年のGWだったのだ。

 
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