プロフィール

ころた

Author:ころた
芦ノ湖と相模湖にしかバスがいない頃にルアーを始めた。師匠は常見忠、開高健(心の師匠ね)。吉田幸二よりは若い、ちょっとだけ。
30数年間の技術者としてのサラリーマン生活を終え、いまや悠々自適(と言うほど余裕はない)。技術者の悪い癖で理屈ばかりにやたらうるさい。当然、釣りも理屈詰めとなる。よって頼りにしたのは科学文献。文献検索を重ね魚類や湖、その植生などを紐解くと、出るは出るは面白情報の山。その一部をおすそ分けします。

HP復活から

ルアーフィッシング黎明期 その6 : 平砂浦の波頭をスズキが走る

 釣りの上で人から「すげぇ」と言われた人生2回目の出来事は、高2の夏に訪れる。時は1972年8月、場所は千葉県平砂浦。なんだまたバスじゃないのかよと言うツッコミは甘んじてお受けする。実は俺はバス釣りが下手なのだ。
 今でこそ平砂浦はサーファーのメッカになってしまい、投げ釣りなんて自由にできない海になってしまったが、その頃はバスフィッシングがマイナーなのと同様、サーフィンもマイナーだった。平砂浦は投げ釣り天国だったのだ。で、狙いは当然スズキ。シーバスなんて呼ばなかったよ、スズキだよ。ルアーも至ってシンプル。ラパラF-9の根元にでっかい卵浮きを付けて、投げ竿でえいやっと投げ、ひたすら巻き取る。ルアーは他にはいわゆる弓ツノだ。今は釣具屋でもまず見ないが、大き目の針を水牛のツノに埋め込み、鳥の羽なんかで飾り付けた日本の伝統疑似餌。アワビなんかで飾り付けてあって結構お高い。まだ売っているのかなと思っていたら、ちゃんとヤマシタから売られていた。プラスチックだけどね。これも卵浮きでうぉりゃ~と投げる。すると釣れない。

ツノ

 いくら大昔でもやっぱ簡単には釣れんのよ。この時は両親と近所の板前をやっている知人と4人で行って、俺と父親が釣って来た獲物をその場で捌いて食べちゃおうという企画だったのだが、そんななので朝飯は塩握りだけでオカズなし。そろそろ昼飯時も近づいてきた頃には、板さんの「魚はまだか~」という催促の声も遠ざかって来た。で、父親はスズキを諦めて餌釣りに狙いを変えた。しばらく釣っているとポツポツとキスやハゼが上がった。

 俺はそれでもひたすら投げ続ける。夏の平砂浦には土用波が繰り返し押し寄せ、夏の太陽がさんさんと降る注ぐ。広大な砂浜にはほぼ俺達だけ。それだけで十分気持ちいい。そんな時、きれいにブレイクしていく波を見ていると、30mほど沖の大波のショルダーを黒い影が物凄いスピードで横切っていく。魚だ、それもデカい! しかも何匹もいる。俄然やる気を出してキャストを繰り返す。知らぬうちにリトリーブスピードが速くなる。これが良かったのか、数投の後に今まで経験したことのない強いアタリがロッドに伝わる。全力の合わせ。掛かった! ポンピングしなければリトリーブできないという経験も、その時が初めてだ。そしてスズキの豪快なエラ洗い。全身の血が頭に昇っていく。慎重に慎重に、いやラインを緩めるんじゃない。ドラグはちゃんと調整してあるか?ラインの結び目はもつのか?色々な思いが交錯する。
 ものすごく長い時間が経過した気がした。いや実際には数10秒なんだろうな。波に乗せるようにしてビーチに引き上げたスズキは約95cm。初めて見る巨魚だ。意気揚々と両親の元に持って帰った。
「おぉ!〇〇ちゃんすごいじゃねぇか!」
「ホントに釣って来たの!」
賞賛の嵐だ。そして板さんオジサンの捌いたスズキの洗いの旨いのなんの。波頭を横切る魚影、30m先で炸裂する飛沫、波と共に引き寄せられたスズキ、そして洗いの旨さ。高校時代最高の思い出かもしれない。惜しむらくはこのスズキが未だに自己ベストのまま未更新なことだ・・・
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