プロフィール

ころた

Author:ころた
芦ノ湖と相模湖にしかバスがいない頃にルアーを始めた。師匠は常見忠、開高健(心の師匠ね)。吉田幸二よりは若い、ちょっとだけ。
30数年間の技術者としてのサラリーマン生活を終え、いまや悠々自適(と言うほど余裕はない)。技術者の悪い癖で理屈ばかりにやたらうるさい。当然、釣りも理屈詰めとなる。よって頼りにしたのは科学文献。文献検索を重ね魚類や湖、その植生などを紐解くと、出るは出るは面白情報の山。その一部をおすそ分けします。

HP復活から

ルアーフィッシング黎明期 その7 : 村田基 VS 田辺哲男

 さて「あの頃のバスプロ」について少し思い出そう。釣り雑誌にルアーの記事が載るようになり、バスについての情報が少しずつ世に出てくる。日本初のバスプロは吉田幸二というのは有名な話。1984年のことだ。しかし実は彼が日本初ではなかった。先駆者がいたのだ、アメリカに。ヒロ内藤である。ヒロ内藤がアメリカのB.A.S.S.に初参加したのは1983年、そのとき俺はアメリカにいた。仕事で約1年間、LA南部のHuntington Beach に住んでいた。
 
 その頃の思い出話は尽きないのだが、それは後日。俺が住んでいたアパートはプール、テニスコート、ジム付の2LDK。それが30前の独身男の普通の暮らしなのだ。こりゃあ向こう50年は日本は敵わないと思い知ったよ。で、日本には影も形もなかったケーブルテレビも当然完備している。ほぼ今の日本のプログラムが35年前のアパートで見られる。「釣りチャンネル」もあったよ、名前は違うけど。色々な本場のテクニックもテレビを通して会得していった。
 そこでヒロ内藤なる日本人が紹介されていたのだ。改めて彼のプロフィールを見ると「1983年、B.A.S.S. Master Classicに日本人初のプレスアングラーとして参加」となっているので、トーナメントプロとは違うのだろうが、バスフィッシングの世界で単身アメリカに渡って根を張った最初の日本人だろう。実際、その時彼はバグリー社に勤務していたのだ。宇宙飛行士 向井千秋氏の弟だし。遅れて1984年、田辺哲男がB.A.S.S.にトーナメンターとして参加するのだ。

 その田辺と村田基の対談がシマノTVで公開されている。ちょいと面白いので覗いてみてね。

 この対談では村田が「ブルブリング」なんてアホな名前を付けて、ワームのシェイキングを初めて田辺に紹介したと話している。田辺がアメリカに行って帰って来た時のことらしく、恐らくは1985年あたりの出来事だ。そう、ワームのテクってそんなレベルの時代だったのだ。
 ちょっと待てよ。それって俺が村田の前でアメリカ仕込みのトゥィッチングを披露した後じゃん。村田は俺の技を盗んだのか?(マタ偉ソウニ、マァ) 詳しくは[釣れづれなるままに そう言えば村田基って]を参照されたし。
年表的にまとめてみようか。
     俺   ヒロ内藤      田辺哲男     村田基 
1955  誕生   誕生
1958                  誕生       誕生
1962 釣り開始 
1968 初バス
1983 渡米    BASS参加
1984 鹿島港事件           BASS参加   WaterLand起業
1985                       ブルブリング紹介
1988        ロッド発売     JB三冠王

 そうか、俺の伝授したテクが回りまわって田辺哲男を三冠王に押し上げたのか。これからは己をKing Makerと呼ぶことにしよう。(オマエ、絶対思イ過ゴシダカラ)
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